マスコミ各社の世論調査によって、発足直後の高市内閣が、非常に高い支持率を誇っていることが分かります。
ここで危惧するのは、この支持率を背景に、少数意見や反対意見がバッサリと切り捨てられてしまうことです。国家のためならば、個々の言動に制約を加えても仕方ないという全体主義者。 高市さんには、どうしてもそんな政治家像が付きまとうのです。
彼女は、4年前の総裁選の際、「公共の福祉」と「人権」との関係について、強い調子で疑問を呈しています。「公共の福祉」を否定的にとらえているのです。
そもそも「公共の福祉」というのは、憲法12条のなかで用いられている言葉で、それによって、一部権利が制限されてもやむなし、というもの。たとえば、健康や生活環境を守っていくための規制、あるいは、名誉毀損やプライバシーの侵害を防ぐための制約など、国民個々の安寧をはかるうえで、時として「権利の制限」もあり得ることが記されているのです。ところが高市氏は、その「公共の福祉」を「公益および公共の秩序」に書き換えるよう提起。国家の主権に関わる場合においても、個人の権利を制限せよ、と訴えています。
「権利」という言葉で思い出されるのは、今回の内閣で、「経済安全保障担当大臣」、さらには「外国人との秩序ある共生社会推進担当大臣」を兼務する小野田紀美さん。彼女は過去に、こう受け取られるような言葉を発しています。国民個々の権利は、義務を果たしてこそ生ずるのだ、と。
でも、考えてみてください。生まれながらに重い障害のある人や貧困極まる家庭に産まれた子、はたまた、DV被害により身を隠して過ごさなければならない人など、「勤労・納税・教育」の義務を果たせない人はたくさんいます。小野田氏の論理だと、そうした人々は義務を果たしていないがゆえに、権利を主張すべきでない、ということになります。それこそ、憲法違反。国民誰しもが、憲法25条に保障されている通り、生来の権利があるはずです。
しかし今、為政者によって、そうした権利が蔑ろにされようとしています。いや、それどころか、個々の権利を抑圧するような政策が、堂々と推し進められようとしているのです。「スパイ防止法の制定」「国家情報局の創設」「国旗損壊罪の導入」そして、「憲法の改正」です。
某月刊誌は、〈早苗の敵は日本の敵!〉との言葉を掲げ、〈祝 高市総理〉の特集を組んでいます。執筆陣のほとんどが、高市首相の取り巻きです。が、そうであるだけに、リアルな恐ろしさを抱かざるを得ません。
権力への従順さ、かつ、国家への義務が求められる社会。こんな世の中は、御免こうむります。
国家には、国民の権利を守る義務があるのです。そして、「人間誰しも、生きているだけで価値がある社会」を実現していかねはなりません。
高市氏「公共の福祉、わからん」 自民総裁選の改憲論議



