略歴
山本 譲司(やまもと じょうじ)
1962 年 9 月 20 日(62 歳)生まれ
学歴
1981年 3月 | 佐賀県立 三養基高等学校 卒業 |
1985年 3月 | 早稲田大学 教育学部 社会科社会科学専修 (現・社会科公共市民学専修) 卒業 |
職歴
1985年 11月~1989年 6月 | 菅直人代議士の秘書 |
1989年 7月~1996年 9月 | 東京都議会議員 2 期 |
1996年 10月~2000年 9月 | 衆議院議員 2 期 |
2004年 2月~2006年 7月 | 東京都内の知的障害者入所更生施設の支援スタッフ |
2003年 12月~ | 作家(著書に新潮ドキュメント賞受賞作『獄窓記』の他、『累犯障害者』『刑務所しか居場所のない人たち』『出獄記』等多数) |
経歴
早稲田大学在学中より市民運動に携わり、ホームレスの問題や発展途上国の貧困問題に取り組む。

東ティモールの民族自決権を求める国際運動の事務局長を務める。

大学卒業後は菅直人代議士の政策スタッフとなり、その後、公設秘書に。
1989年
「消費税反対」を掲げて東京都議会議員選挙に無所属(社会党・社民連推薦)で立候補。当時1人区だった立川市選挙区での初当選であり、史上最年少の26歳での当選。立川市選挙区において初めて、保守系以外の都議会議員となる。


1993年
前回同様無所属(社会党・日本新党・社民連推薦)で立候補し、東京都議会議員選挙2期目の当選。

1996年
初めて小選挙区が導入された衆議院議員選挙に、東京21区(立川市・日野市・昭島市)から、直前に誕生したばかりの民主党公認で立候補。小選挙区で当選する。

2000年
民主党公認で衆議院議員選挙2期目の立候補。再び、小選挙区で当選する。民主党設立以来、東京都連(会長は鳩山邦夫代議士)の幹事長兼選挙対策委員長を務め、東京における組織づくりや各種選挙戦に臨む。
2001年2月
秘書給与詐取事件により、懲役1年6月の実刑判決を受ける。その東京地方裁判所の一審判決に従い、控訴審を争うことなく服役。収監先の黒羽刑務所では、障害のある受刑者や認知症受刑者の世話係を務める。
出所後
2004年から21年間、受刑者の社会復帰支援活動。
社会復帰や生活支援をした出刑者は2000人以上。
著書に『獄窓記』(2004年新潮ドキュメント賞受賞)『累犯障害者』『刑務所しか居場所のない人たち』『出獄記』など多数。それぞれの本で、刑務所の中にいる障害者や高齢者の問題を社会に提起する。
2004年
福祉関係者や司法関係者に呼びかけ、「触法障害者」についての勉強会を発足させる。
2004年から
八王子市内の知的障害者入所更生施設にて支援スタッフとして働きつつ、作家活動も始める。全国の福祉施設や矯正施設を訪ねて調査研究を行うなど、活動の幅が広がったため、八王子の施設は2年半ほど在籍したあとに退職。

2005年以降
「罪を犯した障害者の地域生活支援に関する研究」という研究班や日本社会福祉士会「リーガル・ソーシャルワーク研究委員会」を立ち上げ、厚生労働省や法務省など行政機関に政策提言をする。

政策提言の主な成果
- 矯正施設と福祉をつなぐコーディネート機関「地域生活定着支援センター」を、厚生労働省予算で各都道府県に、最低1カ所設置させる。
- 障害のある受刑者が矯正施設内でも障害者手帳を取得できるよう、交付要件を緩和させる。
- 出所者を引き受けた福祉事業者への支援費加算制度を導入させる。
- すべての矯正施設に、最低1名の福祉専門職を配置させる。
- 法務省管轄の更生保護施設(出所後に行き場所のない受刑者を受け入れる施設)に、法務省予算でソーシャルワーカーを配置させる。
- 検察庁に社会福祉アドバイザーを採用させる。
- 障害者が被疑者となった時点で福祉が介入する「入口支援」を開始させる。
2006年から現在まで
半官半民の刑務所「播磨社会復帰促進センター」や「島根あさひ社会復帰促進センター」の計画立案・運営に携わっている。両施設は、障害のある受刑者専門の特化ユニットがあり、福祉的処遇をする初めての矯正施設となる。


2008年
リーマンショックをきっかけとして、出所者の就労支援のNPO法人を設立。
2009年
更生保護法人を設立。
2012年3月より
冤罪被害者である村木厚子氏への国家賠償金をもとに設立した「共生社会を創る愛の基金」の運営委員。
2022年
2022年2月、癌を告知され入院。生死の境をさまよう。

現在
更生保護法人の「東京実華道場」および「同歩会」の理事、NPO法人「東京都就労支援事業者機構」の理事も務める。
癌を克服し、今後は国政の場で活動していく決意を固める。
私の思い
25 年前に秘書給与詐取事件を起こした私は、1 審判決に従い服役した。獄中は障害者や高齢者で溢れており、強い衝撃を受ける。彼らは罪を犯すことによって、冷たく厳しい外の社会から塀の中へと避難してきていたのだ。出所後の私は、そうした人達の更生支援に携わってきた。昨今は、生きづらさを抱えた人が、ますます生きにくい世の中になっている。こんな社会を変え、どんな人であろうと、生きているだけで価値のある社会をつくりたい。
